カワタツブログ

たた見たもの。いろいろなもの。

平山優「真田信繁」で分かるのは信繁と大坂の陣の真実

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「武田氏滅亡」の流れで平山優さんの著書を読みました。

 

 

 

 

 

 

tatsuyakawakami.hatenablog.com

 

 

 

 

平山さんは大河ドラマ真田丸」の歴史考証も担当していたので、

この本の内容は真田丸に落とし込まれていたため、

途中まで大体知ってた話なんですが、

300ページ位のこの本、

半分位で関ヶ原以降に到達します。

つまり、信繁の九度山以降の生活を詳しく調べたもの。

 

しかし、1つ気になったのが、

 

大坂冬の陣は実は徳川方の負けだった

 

ということが書いてあったこと。

というのも、当時日本に来てた外国人にはそう見えて、

外国人がそう書いた書類も残ってて載ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、和平交渉は真田丸を攻めあぐねた徳川方から持ち込まれ、

(真田丸をなかなか落とさない上に、

諸大名も戦争に乗り気じゃないため、

しかも兵糧が足りなくなったりして厭戦気分が出て、

諸大名をまとめる力を失うのが怖かったということがあった)

ひとまずの停戦で合意。

 

大坂城の堀を埋めたのは、浪人たちを無下には扱えない豊臣方が、

「堀を埋めて城を無防備にすれば、浪人たちも出て行くだろう」

と思ったかららしいです。

まあ、浪人たちは出て行くどころか、

冬の陣の戦いぶりを見て、むしろ増えたらしいですが…(笑)

 

あと、家康にとって大坂の陣は、

秀頼を滅亡させるために始めた戦ではなく、

秀頼に国替えをさせるためだったみたいですね。

「秀頼が国替えに応じなければ、やむなく開戦する」

という腹積もりだったみたいです。

 

しかし、冬の陣が終わっても大坂方の浪人たちが大坂城を去らないどころか、

秀頼の言うことを聞かず秀頼を担ぎ上げて開戦に持ち込んだ様です。

秀頼も、家康も「戦をしないといけないのかあ〜〜。」

という気持ちだったのかもしれませんね。

 

他にも、信繁が「真田丸」で、

徳川方の兵に向かって、

「徳川に男はおらんのかあ〜!」

と叫んだのは史実だったことが分かってなんだかテンション上がりましたし、

 

真田幸村」の名前は、

江戸幕府が盤石になった後も、

信繁の武名は大坂の陣の後から庶民の間に広まって、

歌舞伎などで演じられ、

それでも幕府の目を気にして「信繁」の実名は使えないため、

「幸村」という偽名を使ったことにあるそう。

大石内蔵助が「大星由良助」と名前を変えて演じられたのと同じこと。

またウイニングイレブンで外国の代表の選手の名前のライセンスがないから、

偽名を使われてるのと同じことでもありますかね…。

今のは知らないけど。

 

とにかく、後半から面白い事実がたくさん出てきて面白かったです!

 

今はこれを読んでいます。

 

 

多動力 (NewsPicks Book)

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現在、もう少し 積んである本があるので、

嬉しいです。

次の本も早く読みたいな。

 

それでは、今日はこの辺で失礼します!